渋谷を盛り上げた「弘法湯」の存在

no.009

渋谷を盛り上げた「弘法湯」の存在

今でこそ大都会に発展した「渋谷」ですが、江戸時代ではのどかな農村地帯が広がっていました。そんな渋谷にひっそりと存在していた「円山町」ですが、ある時を境にそれはそれは華やかな「花街」として発展を遂げていきます。この発展に一役買ったと言われているのが「弘法湯」。「弘法湯」は江戸時代の文献にも出てくる、古くから続く共同浴場でした。明治18年に経営権を譲り受けた佐藤家が本価格的な風呂屋として経営を始め、のちに近隣地へ「神泉館」という料理旅館を開業させました。料亭ができたことで芸妓業が盛んになり、円山町は人気の「花街」へと発展していきます。実はこの「弘法湯」、なんと霊験あらたかな湧き水を使用していました。渋谷で湧き水なんて、今ではちょっと信じられませんよね。

京王井の頭線「神泉駅」付近は古くから「神泉谷」と呼ばれ、こんこんと湧き出る泉がありました。「弘法大師」の弟子の僧侶がその水を使用し湯治場を作り、村民に入浴を勧めたのが始まりと言われています。この湯治場はやがて人々の間で「弘法湯」と呼ばれ、「霊験あらたかな湯」として語られるようになっていったそうです。そんな歴史のある「弘法湯」ですが、1976年に惜しまれつつ閉店してしまいます。現在は跡地に「弘法大師・神泉湯」と書かれた石碑が残っているのみ。時代とともに生まれては消えゆくものは数あれど、渋谷を盛り上げた立役者のうちの一つである「弘法湯」、そして霊験あらたかな湧き水の存在を忘れず語り継いでいきたいですね。